2014年2月3日情報通信国際交流会講演
「変動するアフリカとわが国の対応」
社団法人アフリカ協会会長 松浦晃一郎
本日、ここでアフリカのお話を出来る事を大変嬉しく存じます。タイミング良く、安倍首相がアフリカを訪問され、皆様のアフリカへの関心も高まって来ている時と思います。
1.アフリカとの関わり
私は外務省時代には、アメリカとフランスとアフリカの3本柱で仕事をして来ましたが、アフリカとの関わりは、1961年9月に在ガーナ日本大使館に赴任し、ガーナを含む西アフリカ10カ国を担当した時に始まります。1960年代にアフリカの国は大挙して独立しましたが、当時はまだ「暗黒の大陸」と言われていました。ヨーロッパの植民地として、搾取の対象の時代が続き、それを正当化する為に言われたものですが、日本でもアフリカは暗黒の大陸と印象づけられていました。
私も欧米の歴史で教育を受けていましたから、ガーナに赴任してビックリしました。アフリカの歴史に無知であったと気付いたのです。15-16世紀の欧州の学者で、アフリカにかなり進んだ文明があった事を書いている人いたのです。
その後、ODAを担当する経済協力局が長く、多くのアフリカの国々と関わり、フランス大使時代の5年半はジプチ大使も兼任し、近くからアフリカを見ていましたし、ユネスコの10年間はアフリカを重点的に廻りました。アフリカ54カ国の内、行っていない国は、ソマリアと最近独立した南スーダンだけです。ユネスコの使命は文化遺産の保護もありますが、一番の使命は教育にあり、アフリカが必要としているのも教育で、これを通じて関わって来ました。その様な次第で、自分の目を通して見たアフリカをこの「アフリカの曙光」(かまくら春秋社)として発刊しました。
アフリカは資源の豊富な大陸として注目を集めていますが、異文化理解の為には、歴史を理解する所から始めて欲しいと思います。最低限、第2次大戦後の70年の歴史は理解して戴きたいのです。先の安倍首相ミッションに同行した三十数名の財界の人達も、行ってみて認識を新たにしたと言っています。
2.アフリカの独立
第2次大戦が終わった時に、アフリカ大陸で独立国はエチオピアとリベリアの2カ国のみでした。1950年代に入り独立運動が起こり、1957年にガーナがイギリス領からまず独立しました。フランス領ではドゴール大統領が、フランスの下での豊かな奴隷の生活か、貧しくても独立かとの選択を迫り、ギニアだけは、1958年にセクトーレが貧困の独立を選びました。その後、ドゴールも考えを変えて、その他の国にも独立を認めて行きました。1960年代にアフリカの国々は相次いで独立し、大挙して国連に加盟したのです。
その様にして独立した国々ですが、民主的に運営できるかどうかが鍵であり、1960年代前半は、希望を持って見ている人も多かったのです。しかし、ほとんどの国に当てはまる事ですが、1960年代の後半から1970年代に入りモノカルチャーの経済やオイルショックの影響などで経済運営が上手く行かず、更に民主的に選んだ大統領が独裁化し権力を手放さなくなりました。そこに軍事クーデターが起こり、軍人が政権を取るが、これも同じように政権を手放さず居座る状態が続きました。
3.新しい流れ
1990年代になると、東西冷戦が終わった事と期を一にして、アフリカに新しい流れが起きてきました。それは次の様な事象で見てとれます。①南アでマンデラの下、黒人主導だが白人のマイノリティをも守る形での国家運営が始まった事、②西アフリカのベニン(旧ダホメ)で選挙を通じた民主的な大統領が誕生した事、③ガーナでもローリングスが選挙を通じて、2回大統領に選ばれている事、などです。特に、南アの事象はアフリカ南部の周辺の国にも影響を及ぼし、ナミビアの独立や、アンゴラの内戦終結に結びついています。
この新しい流れの中で1993年、日本は東京でTICAD I(第1回アフリカ開発会議)を開催し、アフリカを新しい観点から支援して行く事を始め、大歓迎されました。丁度その時、私は、外務審議官としてこの会議の責任者でした。
4.経済成長とアフリカの未来
全体の趨勢としては政治的な安定もあり、2000年代は良い方向に動いて来ましたし、更に2010年代もその傾向が続いています。経済成長率は、年率5-6%で伸びており、余程の事が無い限り続くと思います。人口も現在の10億人が、2050年には20億人、2100年は40億人と言われており、伸びが頭打ちになる中国・インドに比べ、人口の増加が大きく成長が期待出来ます。しかし、アフリカを見る時には、プラス面とマイナス面の両面がある事を認識しておかなければなりません。
(プラス面)一つ目は豊富な資源がある事で、今までは原油は大陸の西側で出ていましたが、近年は東側でも出る様になりました。ニッケル、コバルト、マンガン、石炭、銅、鉄などもあります。さらに、現地から見れば一次加工を現地でやって、付加価値を付けて売りたい訳で、その事例はボツワナのダイアモンドの例など幾つも出て来ています。二つ目は豊富な緑地帯がある事で、農業資源が利用されずに残っており、モザンビーク、マダガスカルなどがその代表です。
(マイナス面)一つ目は政治的な不安定さであり、民主的なやり方と独裁とどちらが良いかという問題もあります。アラブの春の例でも、民主的に選んだ政権が本当に人民の為になるのか、エジプトは観光客が減り経済が悪くなっていて、独裁の方が国の安定が保てて良いとの見方が出て来ています。二つ目は、アフリカ独特の難点ですが、部族単位で行動したりまとまったりして、部族意識を変えるのが難しい事です。これは言葉が違う事が大きく、言語は文化であり、多様性があるのは良いのですが、国としてまとまって欲しい観点からは難しい問題です。例えば、コンゴ民主共和国の場合、100以上の部族がそれぞれに言語や文化を持っています。南スーダンでも、独立を掲げて北と対立していた時は団結していたが、独立すると部族対立が起こってしまいました。
5.アフリカの問題点
貧困に就いては、国連のアナン事務総長の時、20002年にミレニアム開発目標を決めて、 絶対的貧困を2015年までに半減させる目標ですが、アフリカはまだまだと言う状況です。
その関連で、教育の水準を上げて行く事が大切であり、初等教育をとっても、まだまだサブサハラは低く、教育水準が低いと部族の事を先に考える様になりがちです。ミレニアム目標では、2015年までに初等教育を達成することが掲げられていますが、アフリカでは達成されていません。
負の遺産として大きいのは、伝統的な国境が無い所に、西欧諸国が植民地を争って奪い合い、独立の際にそれが国境線になっている事です。その為、部族が分断されていたり、消費市場としてはサイズが小さいくなっています。今更、国境線を大幅に変更出来ないので、地域で共同市場を作って行く試みが行われており、西アフリカは13ヶ国が集まってECOWASとして一つの共同市場とする事を試みています。南部アフリカでは南アを中心とした地域経済圏SADCがあり、東アフリカにもEACがあります。
6.日本の対応
日本の対応は全体として出遅れています。1993年からTICADをやっており、これは評価されていますが、全体としては出遅れている状態です。これから日本がやって行くには、相互理解、人的交流、経済、政治の4本の柱が大切です。
・「相互理解」については、お互いにどれだけ関心を持っているかであり、日本では最近アフリカに対する関心は高まってきているものの、残念ながら知識が不足しています。アフリカを理解する事が必要です。幸いに、アフリカの人達の日本に対するイメージは良のですが、日本に対する理解は未だ低い状況です。
・「人的交流」でも、日本は出遅れています。2001年に森総理が日本の首相として始めて訪問し、そして2006年に小泉総理がアフリカに行っています。今年、安倍総理が訪問し、エチオピアのAU本部の演説で「必要なら何度もアフリカに来ます」と言いました。これはとても良い事で、政治レベルから始めて、民間レベルの交流がもっと盛んになって欲しいと思います。
・「経済」では、ODAを日本はしっかりとやって来ており、一番大きいのは海外青年協力隊でした。それに加え広く技術協力と無償資金協力と円借款をやり、この3本の柱でやって来ました。TICAD IVで2008年にODAの倍増を約束し、しっかりやっています。ODAは日本全体では減っていますが、アフリカのシェアは増やして来ています。TICAD Vで、援助から民間投資の流れになって来ている事は良い事ですが、ODA はODAでしっかりやって行き、民間投資と連携して行く事が大切です。
・「政治」については、日本が関与して行く事は難しい点がありますが、経済を通じて関わって行く事、例えば、ECOWASから西アフリカ横断高速道路の建設を要請されていますが、これを実現する事により、域内流通で連携が深まれば、政治的にも良い効果があると言う事です。
これらの4本の柱、特に「相互理解」、「人的交流」、「経済」をそれぞれにやって行く事、そしてODAから民間投資への移行と言う事ではなく、ODAも民間投資も両方でやって行くという事です。
7.アフリカ協会
私は、昨年お亡くなりになられた服部禮次郎会長から、会長職を引き継ぎましたが、アフリカ協会は1960年に設立され、私が、最初の西アフリカ勤務から帰任してから関係を持ち、福永英二専務理事と親しくなりました。当時は、アフリカ諸国に対する関心が高まった時で、多くの企業や個人が会員になってくれました。しかし、一般的な関心から入会した人も多かったのか、その後は低調な時期が続きました。1993年のTICAD Iから民間の関心も高まりつつありますが、先ほどお話した相互理解、人的交流、経済でそれなりの貢献が必要であり、もっとアフリカに関心を持っていただきたいと思っています。アフリカ協会はこれらに対応するために、アフリカに関する情報の提供(外務省の協力を得て)アフリカ基金を使った人的交流、在京アフリカ大使館との交流、企業がアフリカに進出する際に理事及び特別研究員が個々の相談に応じるなどの態勢を作っております。
最後に、アフリカとの相互理解を深める意味で、今回の安倍総理の訪問は、良いタイミングでした。アビジャンでECOWASの方々と話し、モザンビークには多くの企業の幹部も同行し、エチオピアではAU本部で日本の姿勢を示す演説ができ、非常によかったと思います。
以上
講演記録
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- アフリカへのまなざし・・・広大な自然と多彩な文化
- 2014年7月9日
- アフリカとの交流強化
- 2014年2月3日
- 変動するアフリカとわが国の対応