一般社団法人アフリカ協会とは?

アフリカ諸国との間で、経済・技術・文化など、さまざまな側面から協力を図り、友好親善関係の増進や相互の繁栄に寄与することを目的としています。 

    主に、次の4つの分野で事業を展開しています。

  • 1)アフリカ諸国との経済・技術・文化交流を促進する。
  • 2)アフリカ諸国に関する調査・研究を紹介する。
  • 3)アフリカ諸国支援のための募金、その他支援活動をする。
  • 4)アフリカ諸国の政治・経済・社会情勢に加え、豊かな文化や暮らし、
    価値観などを伝達し、アフリカ理解を促進する。
設立以来、アフリカ諸国での政治・経済・社会情勢に加え、そこに生きる人々の豊かな文化や暮らし、価値観などを美術や音楽等を通じて伝えるなど、日本におけるアフリカ理解の促進に務めています。
本年1月、長年にわたりアフリカ協会会長としてリーダーシップを発揮してくださっていた服部礼次郎氏が急にお亡くなりになったので、その後を受け、私がアフリカ協会の会長をお引き受けさせていただきました。皆様にはこれから大変お世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。
私が最初にアフリカと接触を持ったのは、50年以上前の1961年9月のことです。外務省入省後、2年間アメリカの大学で学んだ後、外交官として最初にガーナに赴任した時です。当時、日本の大使館は西アフリカに2つしかなく、1つはナイジェリアで、もう1つがガーナでした。在ナイジェリア大使館は、ナイジェリアの国土の広さ及び人口の大きさからして、同国のみを担当することになっており、在ガーナ大使館が残りの西アフリカの独立国を全て管轄することになっていました。正確に言えば、セネガルは近い将来大使館を設置するということで、セネガルを除いた10カ国(そのうち英語国はガーナを含め3カ国、残りの7カ国はフランス語国)を担当することになっておりました。ちなみに、ガンビアおよびギニアビサウは独立前でした。
当時の日本大使は中川進大使で、元々ドイツ語の方ですが、英仏両語に堪能な方でした。着任早々、同大使から外務本省に対し、英仏両語に堪能な若い外交官を送ってくれるように頼んだ結果、君に来てもらうことになったとの話があり、私からは大使に対しガーナは最初の勤務地であるので、至らないところが多々あるとは思いますが厳しく指導してくださいとお願いしました。今から考えても非常に良い上司に恵まれたと思っています。
ガーナに在勤した2年間は、ガーナ国内の各地を訪れたのみならず、他の9カ国についても、時には中川大使(ついで後任の大城大使)のお供をし、時には単独で頻繁に訪れました。そのうちガーナ人をはじめ、アフリカ人の友人が増え、またアフリカの音楽や踊り、更にはアフリカの彫刻、広く言えばアフリカの文化が大好きになりました。そして、アフリカの歴史についても色々と勉強し、アフリカは暗黒大陸で文明がないというのは、アフリカで奴隷狩りを進め、ついでアフリカの国々を植民地化したヨーロッパの人々がでっち上げた真っ赤な嘘であることを発見いたしました。
その後の40年近くにわたる外務省時代に、私はアフリカと色々な形で接点があり、私なりに日本とアフリカとの協力関係を進めるべく努力いたしました。その過程で岡野喜一郎会長(故人、現在のスルガ銀行CEO の岡野光喜様のご尊父)および、福永英二理事長(故人)の率いるアフリカ協会との接点もでき、アフリカ協会が日本とアフリカの交流を進めると共に、日本から見れば遠い存在であるアフリカについての知識を国民の間に広めることに対し、大きな役割を演じていることを知り、嬉しく思いました。
外務省時代の終わりの頃には、駐仏大使を務め、パリに駐在しているアフリカ各国の大使と親しくなり、また「アフリカの角」にあるジブチを兼任し、毎年訪れることになりました。このようにして、再びアフリカとの直接の関係が出来ました。加えて、ユネスコ事務局長時代の10年間には、ユネスコとアフリカの協力関係を進めることに力を入れ、アフリカにある独立国53カ国(当時)中、ソマリアを除く52カ国を訪問しました。この話をアフリカの方々にすると皆さんびっくりし、アフリカ人の中にもそれだけ多くのアフリカの国を訪れた人に会ったことはないと言っていました。
以上のようなアフリカとの50年に亘る私の交流については、ユネスコ事務局長を10年務めて、パリから帰国後の2010年の夏に「アフリカの曙光」(かまくら春秋社出版)という著作の中で詳述しました。そして再びアフリカ協会とご縁ができ、服部礼次郎会長下でのアフリカ協会の顧問として、側面から応援させていただくようになりました。私にとって非常に嬉しかったことは、21世紀に入り日本の各界のアフリカに対しての関心が急速に高まってきていることです。1960年代にアフリカの国々が相次いで独立した結果、日本の対アフリカの関心が高まりましたが、今から考えてみますと、かなり表面的、情緒的なものであったと思います。TICADⅤの大成功を見ても分かるように、これから日本とアフリカの関係は、ますます緊密化していくと思いますし、またしていかなければいけないと思っています。そういう中でアフリカ協会の演ずる役割は、益々重要になっていくと思います。皆様方の全面的な協力を経て、アフリカ協会の役割をしっかりと果たしていきたいと思っています。

  • 2013年7月

ガボンで第一号世界遺産(複合遺産)に登録されたロペ国立公園遺跡の岩に刻まれた彫刻を前に

筆者が50年前に住んでいたガーナの住居の前で−当時は新築早々であったが、その後老朽化が著しく進んでいる。